2022/01/16

旧久野川 #7

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旧久野川の残念を求めて、右岸上流側へ
撮影日 2010/06、2021/12、2022/01

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本当に申し訳ございません。今まで「兎河原橋」の事「鬼河原橋」としてました
兎河原は公園やバス停もあり、そもそも「兎河原橋際」交差点と何度も見てるのに、
何を勘違いしてたんだろ。(もち兎河原という名は知ってた)

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さて、その兎河原橋から下流側。久野川橋まで真っ直ぐ
上流側はちょい先で右に曲がってる
ところで、上流側左側(右岸)の護岸幅が、若干だが変わる

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上流側星山橋下からそのカーブを見る。S字を描いてる

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上流の星山橋。欄干が替わってて、ガードレールタイプになってる
以前のは味わいがあったんだがなぁ。何年か前に水害で被災した、、んだっけ?
親柱等は変わってない。銘も同じだが、当日逆光で綺麗に撮れんかったので、
下の11年半前の奴流用

広域農道が繋がる以前、辻村農園から抜けて来る道が此処通るんで、
昔は結構通ってた

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この橋から公式的に上流/準用河川久野川、下流/二級河川山王川となる
上流左側(右岸)山際を流れてるが、谷を出る平野口はも少し上流
樋口橋~出口橋辺りである
古代的には自由に流れてたと思うんだが、山裾に流れを変えられてると思われ
(そすれば片側だけ堤防造りゃ良い)

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さて、右岸上流部の川沿いだが、見事にまっ平ら
星山橋の直ぐ下流に架かる新橋(予定)に繋がる未成道まで出来てる

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そもそも1952年航空写真でも、若干段丘っぽくなってるのは判るが、
右岸(写真下側)に川があった風な田は無い
それでも1990年台まで一応残ってたんだが、2000年始め頃(と記憶)の
農地区画整理でまっ平らになってもうた
右岸下流側、兎河原橋付近も一緒

古い航空写真見ても、川跡が判らんのはちょっと怪しい・・・・

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しかし国土の明治期低湿地図にも旧河川描いてあるからなぁ、、
ソースは判んないだろな、と思ってたんだが、色々調べたら明治迅速図だった
コレ、あんま正確じゃないんだよな

てな訳で根底が怪しくなったんで、
星山橋~兎河原橋間は、大正14年工事に含まれて無いと判断

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そもそも久野川耕地整理に関する石碑は、兎河原橋脇にあるから・・・
なんで星山橋脇じゃないんだろ、、、と思ってたが、元から違った訳だ
この石碑、普通は文章のみだが、概略的とはいえ図が載ってる
まぁ細かいトコは判んないんだけどね

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さて碑文の方は、読むんに苦労したんだが、掲載してるトコがあったんで
細かいトコは参照して貰うとして

https://take1960jan.blog.fc2.com/blog-entry-4146.html

ウチラ的に重要な事は、
昭和38年に石碑が造られ、内容的に20年前の事を言ってるようである
って事は昭和18年の事?されど瀬替え行ったんは大正14年なんに?
川の流れを変えるだけでなく、川跡の田圃整理、水路の設置など、
行う事はあるだろうが、10年以上かかってしまったら、その間米作り困るよな

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耕地整理の為の久野川瀬替えだが、今や耕地は殆ど無く、住宅地が広がってる
旧久野川としての本編はコレで終わるが、若干歴史的な番外編を書く予定

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下流の山王川耕地整理はどーなったん?
まだ見つけてないだけかも知れんが、コッチも資料が無く、、
地図的に昭和4/1929年~昭和11/1936年の間に行われた、としか判らん

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タイムリーに大正末、おそらく大正14年と思われるが、
この地図ではまだ久野川は旧川のまま
大正14年10月15日に仮小田原までの部分開業開業した大雄山鉄道は描いてある
あれ?そん時、久野川はドッチ流れてた?
(鉄道等交通は完成してなくても先行して地図に載る事はある)

早速番外編の出番らしい。準備に時間かかるんで、若干空くかも知れん
≪一応完了≫

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2022/01/15

旧久野川 #6

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旧久野川の残響を求めて、右岸下流側へ
撮影日 2021/12、2022/01

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#5でも述べたが、国土の旧河道位置が合って無い・・・気がする
田圃に川跡っぽく【ピンク】残ってるのに、独自なライン引いてる
明治地図の方が正しい気がする
此処の田圃跡から旧河道を推察する

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外側は過去の氾濫跡として、内側のラインを重視するとこんな形

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とはいえ、コレは明治地図ほチョイと直した程度
なお、明治期には道はこんなでソコに橋が架かってた
道は現在に継承されてるとして、そのように補正

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右岸の此処は、大規模に造成されず、道が出来、住宅が建って来た

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元々の地形が残ってる筈・・・だといいな

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一部分だが、旧河道と重なっている
ここらは小田原市の認定外市道で、市道番号がふられてない
とりま協和橋からの道例の道として呼称

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外側のOS2421から見た協和橋からの道
なんの変哲もない住宅地の道だが・・・

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反対側から見ると高低差がクッキリ在る
少なくとも、旧河川と外側の境がこの辺なのは確かなようだ
そんで左の例の道へと降ってく

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例の道の方が協和橋からの道より一段低いようだ
逆言えば協和橋からの道はここら嵩上げされてる事になる
うむ~左側の古い側溝といい、道幅が一定じゃない点など、イイ感じ

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例の道は住宅地に消える。が、まだ奥に続きがある

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水路である。この手は昔の水路がそのまま官地になったケース
昔の田圃の排水路跡。旧河道の替りに造られたモンと推定できる

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今度は外側の道(OS2421)を廻ってく。神山神社近くのこの地点
かつてココラに橋が架かってて、河川渡ってたんだがドコか判らん
そもそも道も人道から車道に拡幅されてるしな

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協和橋からの道を過ぎ、その先へ
そこいらに旧河道が出て来ると予想したが・・

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兎河原橋に至るまで、道(OS2421)のドッチ側にも川跡は見られず
まっ、予想した西側の農地は、後の時代に区画整理されちゃったんで、
跡は判らん

17b.jpgこんだけでは確かと言えないので、データでも見る
高低図でも例の道辺りは低くなってる。おそらくソコが旧河道で間違いなさそ

旧久野川の流れ跡(と思われるモノ)を見つける事が出来た
次はいよいよ最後の右岸上部である≪続く≫

2022/01/13

旧久野川 #5

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旧久野川の残高を求めて、左岸最後の区間へ
撮影日 2021/12、2022/01

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一応旧河道の在ったトコは廻ってるが、盛土区画整理の終わった地では、
昔の川跡など見つける事はできん
左手先は伊豆箱根バス小田原営業所だが、旧久野川はそん中を流れてた

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真っ直ぐな道は、最後にカクカク曲がって丁字路になってる
なんでだ?

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伊豆箱根バスの営業所が出来たんは昭和40/1965年
そん時裏の車道は無く、1967-1977の間に出来たもよう
カクカク道は元あった田圃がそのような形だったからで、
そもそも田圃かそんな形になったのは旧河道がそこら辺を通ってて、
川替えの後田圃の整備の結果のようだ
旧河道が現在の道路の形に影響した、というのはなかなか面白い

トコロで南側にも伊豆箱根交通(1961)の建物が出来、
その脇に工場っぽいの(1962)が出来たんだが、
昭和56/1981にはマンション(小田原サニータウン)になったんで、
僅か19年しか存在してなかった
色々調べたんだが、この工場が何か判らんかった
当時この前とかも通ってるんだが記憶にも無い
本編等にはまったく関係無いが、御存知の方いらっしゃいましたら、
コメ等で御一報いただけると幸いです

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カクカクを出ると南北に貫く道(OS0035)
見通すと両側が高くなっており、谷感が強い
此処より上流側(地図左)は後期に区画整理されてる
一律に盛土整地されてるんで、駐車道すら高くなってる。使い辛そ
そんな訳で、左岸最後の旧河道跡は微塵も無い(一応廻った)

旧久野川の替りとして排水路の役割をしてきた川端排水路、続く下宿排水路だが、
ここより上流は北進して北側地域の排水路となってる

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てな訳で久野川側(OS0031)に出て、新旧久野川が交叉してた場所
とはいえ実際に交叉して流れてた訳じゃなく、旧久野川を切替た結果、
現在の流れになったんだが・・・
トコロで、国土・明治期の低湿地図中の旧河道だと、緑マークのよう流れてる
古い航空写真で見ると、田圃の境がいい感じに川跡っぽいのだが、それとはズレてる
どっちかというと明治地図の方があってる風なんだが、どっちが正しいんだろ
田境は現在の道路・住宅地にも影響出てるんで、次回右岸編は死地転抜刀する事になる

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何はともあれ、旧久野川は天神橋と協和橋の間、天神橋寄りに流れてた

以下、蛇足(#5が短めになったんで穴埋め)
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旧久野川が排水路とは、、田の水とか取水して無かったんかい、と思われるかも知れんが、
平野まで降りたら川より高い位置の田圃に水を送る事はできません
久野川においてはもっと上流の樋口橋(いかにもな名)辺りで取水して用水としてた筈
実際、樋口橋~出口橋間で取水する設備は現存してます(既に使ってなさそだが)

久野平野において、久野川の水だけでは足りず、早川水系荻窪用水工事の際にも、
久野村まで引くというハナシがあったのだが結局行われず、
地元有志の力で独自に用水を引く事になりました

池上地区は狩川水系穴部用水から分水し、トンネルを通り地区まで送る池上用水を
完成させました。コレは今でも現用してて、概ね小田急線沿いにあります
(足柄駅西側を流れてる)

久野地区では狩川水系塚原から山裾・トンネルを幾つか経由して坂下の北久保寄りに至る
久野用水を造り上げました
こちらは現存しておらず、マイナー故に殆ど資料が無いので、詳しい事は判ってません

蛇足以上≪続く≫




2022/01/12

旧久野川 #4

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旧久野川の残光を求めて、久野の川端へ
撮影日 2021/12、2022/01

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大雄山線の多古宮下踏切を越える

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旧河道は川端排水路の辺りを斜めに横切ってた

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小田急線の足柄1号踏切を越える

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旧河道は川端排水路よりチョイこっちを斜めに横切ってた
向うに久野川橋梁の脇、足柄2号踏切が見える
その先は土地が低くなってるんで見通せない
(久野川沿いは堤防の替りに川沿いを少し高くしてる、っーのもある)

鉄道は川替えの後なんで、別段確認する事は無いのだが、伏線なんで(書くなよ)

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今回のメイン、川端地区の畑。昔の航空写真でも川跡っぽく区割りされてる
旧河道辺りで耕作地が残ってるトコは殆ど無いので、貴重だ

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ど、どうかな・・・確かに駐車場より実感下がっているが、耕作地の境ではありがちか
右側の木が植わってるトコは更に低い感じ

じっくり見たかったんだが、モロ住宅地のドン詰りで、背後からの住民の視線が痛い

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てな訳でデータで確認しよう。【上】高低図でピンク星が現在地
川端排水路越しに農地を見てる
排水路側は土地が低くなってるのが常だが、旧河道周辺は土地は低めになってようだ
【下】土地条件図だと旧河道は盛土で埋められてるが、
場所によって高低がありそ。旧河道周辺はやっぱ低い
(旧河道マークは国土・明治の低湿地からだが、
田園の区割りと若干違うトコがあるので、多少合って無い気がする)

此処の農地は旧河道か周辺の低地が、盛土嵩上げされんかった跡と思われ

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K74(新)ではそこいらを流れてた
交差点名は旧字名の川端だが、久野川はアッチなのになぜに、、と思ってたんだが、
旧久野川がここらを流れてたからか

久野川に向かって若干登るが、川沿いは堤防を兼ねて若干嵩上げされてる

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古い方のK74と小田厚が交叉する辺り。旧河道はここらを流れてた

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K74(古)は、この辺では昔道を継承してる。久野本村へ行く道
【下】川沿いには川端集落があり、長さ6間、約11mの板橋が架かってた

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そこからは下宿排水路南側に旧久野川は流れてた
宮本みどりの広場の中とか、、向うに神社かな?

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地図によっては宮本神社と描かれモンもあるが、どう見ても寺院だ
たんだ本堂(?)が有るだけで社務所や墓地も無い
ぐぐってみたら、小田原のネタを扱ってる「小田原の隅々」さんトコに記事があり、
来光寺という名で文禄2/1593年創建と、かなり歴史あるお寺で、
普通の寺院ではなく祈祷所的な場所だったらしい

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大正14年の通水式に写ってるのは、此処かも知れん
左手に山々が見え、橋は久野川橋かな?だとしたら、久野川橋の下流側だが、
あの橋が工事用の仮設橋であるならば、来光寺でもおかしく無い

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大正14年の工事が「神山神社北側~井細田八幡神社付近」という事と、
新旧の河川が交叉するんで、工事~通水は分割で行われたと予想したが、
新旧の交叉地点でなく、天神橋下流で繋いだとすれば、
位置関係は悪く無い
(交叉地点では流れをギュッと変えるんで色々困る)
資材運ぶんに、道が無いんで仮設トロ使ったと考えれば、コッチも辻褄が合う

ハッキリ川跡を見つけてる訳じゃないが、状況的ネタが繋がると面白い≪続く≫

2022/01/08

旧久野川 #3

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旧久野川の残渣を求めて、井細田の排水路合流地点へ
撮影日 2021/12、2022/01

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此処が川端排水路と多古排水路の合流地点です
明治地図や国土・明治期の低湿地地図が正しければ、
旧久野川はこの辺を流れてた筈(コッチ側は既に川中という事になる)

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廻りはすっかり住宅地だが、一ヵ所畑が残っており、その先が見通せる
R255の出光が見える

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っう訳でR255から足柄交番の裏を廻る市道へ下り坂

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ぐるりと廻ってローソン側へ登って来た。交番の裏だけ低くなってる

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最低部から先程の排水路が、、あの辺
こっから見るに、別段低地となってる訳では無い

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排水路の上流側に廻って来た

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コッチからなら、高低差が判るかな・・・・
畑に比べて住宅は基礎が若干嵩上げされてる
まぁ道路から低くなってる土地ならありがちか

先の方にグラッチュガーデンズ(ファミレス)がなんとか見え、
駐車場に車が居るのが判る
フロントグリルが見えるんで、住宅より高い位置に地面がありそ

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国土の自分で作る色別標高図で最大解像度の50cmmモードで見るんに、
足柄交番の裏を廻る道から畑部分が若干低くなってるのが判る【左右】

【中】実は交番裏を廻る道は昔っからの村道(明治地図にもあり)で、
丁度田圃に出る部分が低くなってる
住宅などは高くなってるが、ソコラは元々田圃で同じ高さであった

田圃が旧久野川の河道跡、、、では村道が通れんので、
川の外側、氾濫域位にしとこか
耕地整理でどのように改修されたか判らんので、此処が旧河道と言えないのが弱い

ちな、旧河道はR255沿いまで流れてて、
グラッチュガーデンズ(ファミレス)はモロ川中だったもよう
(国土の図が正しいとして)

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他の場所では旧河道はどんづまりの川端排水路辺り(地図赤矢印)

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大雄山線と小田急線の間では、ソコを流れてた(地図青矢印)

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では情緒もなんも無い。すっかり整備された後では、旧河川の名残など落ちてない
てな訳で跡っぽいモン以外は記事にしても意味が(あんま)無いんでスルーする
で、
今回で終了って事は無く、必死こいて探してきたんで、「ぽいの」だけだが≪続く≫